~ちゃりんこ日本一周サーフィンの旅 番外編 ~歩旅最果島紀行~
第百九十五話  “ 生還 ”  11-26

生還とは大それたタイトルだ。
と、思われるかもしない。
しかし。
自分にとって。
ここから先の数時間は。
生と死の間にいるような。
極限の状況だったとだけ先に記しておこうと思う。

マヤグスクの滝を何度も振り返りながら。
今度は時間に追われながら下山する事になった。
船の出発まで残り3時間20分程だ。
イタチキ川を浦内川の合流地点まで引き返す。
ここまでは簡単な道のりだ。
川沿いに進めばいい。

浦内川の右岸を少し下り始めた頃だった。
やけに道が険しいのである。
草木を掻き分けながら川沿いを進んで行く。

あれ?
という小さな不安がみるみる内に大きくなって行くのが手に取るようにわかった。
それはTAKAさんも同じだった。
ピタッと二人同時に足が止まった。
『外れたね…』とTAKAさんが静かに言った。
続けて『さっきの目印の場所まで一回戻ろう』と。
道を見失ったのだ。
何とか目印のリボンまで戻ったのだが。
それでも道がわからないのだ。

左は川。
右は山。
正面は今間違えた道。

行きに通った道が忽然と姿を消してしまったかのようだった。
表向きは二人とも冷静に対処しているが。
実際のところはかなり焦っていた。
何度か行ったり来たりしながらも。
道はまだ見つからない。
いよいよ不安が口から出そうになった時だった。
右の急斜面の山に。
人が通った道らしき場所があった。
その道らしきものを目で追って行くとわずかに赤いテープが視界に入った。

目印だ!

ちょっとした心理的作用だった。
自分達は山を降りて船着き場に戻る。
しかし実際は行きにも下りはあったし小さいアップダウンはあったのだ。
下山。
それに捕われすぎ上に登るという事を勝手に選択肢から除外していたのだ。

ともあれ。
ようやく取り戻したルートにひと安心もつかの間。
あれ?
これはどっちだ…?
そんな場面に何度か遭遇する度に生きた心地がしなかった。
第二山小屋跡地を通り一安心した。
この先は比較的険しいがわかりやすい道だったからだ。

トカゲが木の幹の色に合わせて色を変化させている。
いや。
色を変化させているということはカメレオンなのかもしれない。 

昨日から事あるごとに撮り続けていた写真は。
このカメレオンが最後となった。
正確には。
この後。
写真すら撮れない状況になってしまったのだ。

午前中に捻った右足は。
そこそこのペースで時折ズキッと痛みを伴いながらも歩けてはいた。

一瞬の出来事だった。
軽い上り坂を進んでいる時。
右足を地面についた瞬間ズキン!と痛みが走った。
しかし。
そこまではここまでも何度もある出来事だった。
問題はその痛みよりもバランスを崩した事にあった。
左に勢いよくよろめいた。
次の瞬間。
左太ももに激痛が走った。
よろめき左に倒れかけた所に。
ちょうど腕くらいの太さの折れた木の幹の先が。
それが左太ももへ直角に直撃したのだ。

自分の体重+バックパックの重量が。
折れた木の幹の先端と。
左太ももに接するただ一点に集中したのだ。

悶えた。
声さえでなかった。

地域によって言い方は異なると思うが。
男子ならわかるのではないだろうか。
小学生の時に"モモカン"が流行った。
太もも外側の付け根にひざげりをするあれだ。
当たり所によっては簡単に体は崩れ落ちる。
その5倍。
いや10倍位の衝撃だった。
出血が無かったのが救いだった。
あの木の幹の先端が鋭かったなら。
恐らくももに刺さっていただろう…。

やっと声を出して。
『ちょっと待ってください…』とTAKAさんに言った。
最初の激痛が治まり鈍い痛みが太ももに広がる。
歩けるか?
そんな問いは自分にはしなかった。
歩くしかないのだ。

人間の体は面白い。
さっきまでズキッズキッっと痛みを伴い弱々しかった右足が。
左足の様子を察して復活したのだ。
もちろん痛みはあるが、左足のそれに比べればかわいいものだった。

TAKAさんが見つけてくれた木の枝を杖にして。
再び歩き始めた。
右足が頑張ってくれているおかげで何とか歩を進める事が出来た。
しかし。
最初はTAKAさんのペースに何とか遅れながらも。
視界に入るペースで歩けていたのだが。
足の常態は刻一刻と悪化していった。
太ももがパンパンに腫れあがり左足を曲げる事が出来ないのだ。
膝を曲げれば太ももに激痛が走る。
段差は右足を先に上げ左足は曲げないように垂直に移動した。
体重をかけると痛む右足と。
ひざの曲がらなくなった左足。
片足分しか足場のない場所や。
足元が滑りやすい場所は。
TAKAさんが、掴まれ!と言わんばかりに手を差し延べてくれた。
自分より華奢な体のTAKAさんの手が。
何だかとても力強く感じられた。

息を荒げながら。
時折襲いくる激痛に唸り声をあげ。
それでも歩くしか無かった。
恐らく。
一度休んだら最後。
二度と立ち上がれなくなる事は明らかだった。
それは函館まで歩いた時の経験が自分にそう言っていたのだ。

やっとの思いでカンビレーの滝までたどりついた。
ここから船着き場まで後45分だ。
しかし船の出発時間までも後45分だった。
あまりにペースダウンした自分はTAKAさんから遅れてばかり。

そんな時。
TAKAさんが。
こう言った。
『カバン。俺が背負う。』
と。
え?
いやそれは無理だ。
と自分は思った。
不用なものはキャンプ場に置いてきたとは言え。
ずっしりと重さのあるザックを。
二つ持って歩けるはずがない。

大丈夫では無かったが大丈夫です!と断るより早く。
TAKAさんは自分の背中から荷物を剥ぎ取った。
そして後ろと前に大きなザックを二つ背負い。
力強く歩き始めた。
その後ろを杖をつきながら足を引きずり歩く自分が。
どうしよもなく惨めでありはしたが。
TAKAさんの気持ちが嬉しくて仕方なかった。
そして思った。
自分がもし逆の立場だったら。
TAKAさんと同じ事が出来ただろうかと。

マリュドゥの滝を過ぎたあたりだったろうか。
TAKAさんが一つの決断をした。
この先は道も整備され安全だと判断したのだろう。
『やなっち!俺が先に船着き場まで行って船を止めてくるから!』
と、言って。
あんなに重たい荷物を二つも背負い。
どうやったらそんなに早く歩けるのか。
TAKAさんはスピードを上げ船着き場へ向かった。

それから30分。
ただただ足を。
前に運ぶ事だけに集中した。

桟橋に船とTAKAさんの姿が見えた。
最後の力を振り絞り。
そこまで歩いた。
待たせてしまった事を船長さんにお詫びし。
崩れ落ちるように船の座席にもたれかかった。

エンジンが始動し回転数をあげ川を下る。
恥ずかしながら。
無事にたどり着いた安堵の気持ちもあったのだろう。
安心した途端に目頭が熱くなった。
鼻をすする音はエンジン音が掻き消してくれたが。
晴れた空は霞んで見えた。

TAKAさんは船の外に目をやり。
流れ行く景色をただゆっくり眺めていた。                                                      TAKAさんは世界一周の旅でどんな局面に立ち。
何を感じ経験してきたのだろうか。
そして今何を思うのか。

自分はこんな事を考えていた。
今回のマヤグスクの滝。
本当に行って良かったと。
怪我をして命からがら戻って来た。
しかしそれ以外にも。
もしあそこで足を踏み外したら。
とか。
道に迷い日が暮れてしまったら。
とか。
急に大雨が降って川が増水し流されたら。
とか。
                                                  本当に後で読み返せば大袈裟に思えるかも知れないが。
怪我をして知った普段当たり前になっていた健康のありがたさ。
そして。
自分にとって極限の状況における心の戦いが。
"生"というものを強く強く実感させてくれた事。

生きている事。
それは。
ただそれだけで。
すごい事なんだ。
と。
                                                   もしかしたら。
将来。
なんらかの要因により。
自分の体の自由が奪われる事だってあるかも知れない。
そんな時に。
今のこの気持ちを思い出したい。

生きている事。
それは。
ただそれだけで。
すごい事なんだ。
と。

バスでキャンプ近くまで行き。
そこからキャンプ場までの数百㍍。
安心して緊張感の無くなった両足は。
容易に言うことを聞いてくれなかった。
なにげに。
このキャンプ場までの距離が一番きつかった。
途中で冷や汗が出て意識が朦朧として。
西表島の街外れのアスファルトの上で。
危うく気絶しかけた(笑)
                                                                                    ようやくキャンプ場戻り。
その場にへたれこんだ自分。
恐る恐るズボンを下ろし足を見てみると。


左足が見た事もない程膨れ上がっていた。
一瞬。
骨折?
と最悪のシナリオが頭に過ぎったが。
山岳経験のスペシャリストであるキャンプ場の管理人さんの見立てでは"ひどい打ち身"だった。

数時間後。
少し休んだ所。
何とか杖無しで歩けるようにはなったが。
サーフィンや自転車は少しお預けになりそうだった。
そして。
膝の曲がらない自分には。
和式トイレしかないこのキャンプ場が究極の修羅場だったとだけ最後に書いておこう…

ではまた!

*今現在、相変わらず膝は曲げ切れませんがゆっくりなら歩けるまでに回復しました。
サーフィンはしばらくお預けになりそうですが。
日本という国の最果てまで何とか自力で旅を続けようと思います。
心配をして下さった皆さんありがとうございました。

 

このカテゴリの記事一覧