第百十五話  Great Surf jorney Day-42 
“ 冒険の記憶 ” 08-31

今日は暑かった。

予定より早く目的地に着いたので。  早めにライダーハウスにお世話になり。
体を休める事にした。

昨晩は雷とスコールのような雨。  気温も下がらず蒸し暑い夜。
北海道なのにまるで熱帯の国のようだ。

あまり寝れず。  明け方から走り始めた。
今日は静狩峠を越えて長万部へ向かう。
6時前だと言うのにかなり蒸し暑い。  北海道でこの様子だと。
本州や四国、九州そして沖縄は…。
考えただけでぞっとする。  沖縄に接近中の台風も気になる。  
みんな大丈夫だろうか。

朝から汗をたらしながら。  交通量の少ない国道を進んで行く。

最初の道の駅に休憩がてらによってみると。  大学生だろうか。  三人のチャリダーがいた。
鹿児島から日本縦断の旅の途中で一昨日函館に着いたようだ。
ゴールは稚内の宗谷岬。

そっかぁ。  今から北海道を走るんだぁ。
と、思い。
北海道二日目に会った徳島の日本一周バイカーさんがくれた、北海道旅の最強ツール。
0円MAPを彼等に譲った。
*格安のキャンプ場やライダーハウス、温泉等の情報がたくさん載っている。

ゴールを間近にした彼等。
リアカーゴミ拾いの剛さんも。  その長い旅路の先にゴールが見えている。
今、どんな気持ちなんだろうか。  早くゴールに着く事だけを望んでいるのか。
それとも。
旅が終わってしまう事に淋しさを覚えるのだろうか。
そんな事を思うのも。  
今日が今日だからなのかもしれない。

8月31日
夏休み最後の日だ。
夏の自由を謳歌し過ぎて。  子供ながらに現実の厳しさを思い知らされる日である。

夏休みと言えば。  とにかく遊んだ。
近所の友達がいれば缶蹴りにドッジボール。
ごみ箱の蓋を盾にして水風船を投げあい戦闘ゴッコ♪
結局、最終的にはマシンガンに匹敵するホースからの放水攻撃で幕を閉じる事になるのはいつものパターンだ。

一人で裏山にクワガタを探しに行き。
すずめ蜂に追いかけられ、信じられないようなスピードでダッシュしたり。
特別どこに行かなくても。  家の回りが最高の遊び場だったのは小学生の頃だ。

中学生になると。
さすがに家の回りで缶蹴りとかでは遊ばなかったが。
クーラーの効いた部屋でテレビゲームをした記憶は全くない。
部活動に勤しみ。  それ以外の日は。
当日、大流行したマウンテンバイクにまたがり。
(多分)20~30㌔離れた山奥の川に遊びに行くのがただただ楽しかった。

川で魚を捕まえたり。
岩の上から飛び込んだり。
ドキドキしながら誰かが持ってきたライターでたき火をしたりして。

西側に山があるその川は。  日が暮れるのも早く。
薄暗くなってきた時に聞こえてくる蜩の鳴き声が、思い出の風景と共に耳に残っている。
帰りはみんな泳ぎ疲れて、無言のまま列をなして家路に着くのだ。
決まって帰りによっていた中川商店のおばちゃんは。
多分自分達が二つも街を越えて川に遊びに来ているとは知らなかっただろう。

大人になってからその川を見に行った時。
手付かずだった河原が綺麗?に整備され、あの時の風景を僅かに感じられるだけ単なる川になってしまっていた。

今の子供は外で遊ばない!とか言うが。
その遊び場を奪ってしまったのは大人であり今の自分達なのかもしれない。

誰が言い出したかは記憶がないが、仲良し5人組で泊まりがけのサイクリングに行った事があった。
地元の神奈川から、箱根の峠を越え、伊豆の修善寺まで。
必死で箱根を越え始めて自分達の力だけで隣の県に行ったのだ。
その当時の自分達にとっては隣の県は海外に匹敵する場所だった。

去年だっただろうか。  当時の写真を見て大笑いしたりした。
その写真にはあどけない顔の仲間がいて、その笑顔は今も昔と変わらなかった。
大冒険の中で苦楽を共にした仲間との思い出は今でも色褪せる事はない。
その大冒険の記憶が今のこの旅に大きな影響を与えているのは言うまでもない。

何だか、今日は思い出話しばかりになった。
襟裳のイチローさんが言った一言を思い出す。
『この旅を今後どうやってFeedbackするか。それが大事だね。』と。

この旅の記憶は。  10年後20年後30年後に。
どんな思い出として自分の中に残っているのだろうか。

あの時の旅があったから今の自分がある。
と、そう言っている自分がそこにいると信じて。

なぜか苦い思い出の多い夏休み最終日の日記を書き終える事とします(笑)

ではまた!

 

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